G-FREAK FACTORY
曰く「オーバーエイジ枠」、しかしリアリティまみれのメッセージ ローカルバンドの炎、故郷への願いを繋ぐ猛進ライヴが鳴り響いた

 サウンドチェックからメンバー板付のまま暗転し、青白い光に照らされたステージに鳴り響いたのは「Too oLD To KNoW」。太く重心の低いリズムに乗って言葉を連射する茂木は「歌え!」「よく来たな!」「さあ来い!」と観客をアジテートしながら、ライオンのようにステージを闊歩する。その威風堂々とした佇まいから放たれる「ヴィジュアル系バンドG-FREAK FACTORYです」という定番の挨拶には頷けないが(失礼)、そこに続く「カッコよ過ぎてすみません」はおっしゃる通り。雄大なグルーヴでうねりまくるアンサンブルと、曲をはみ出すくらいの言葉をぶつける歌が、ひとつの塊になって猛然と迫ってくるよう。鍛え上げられた盤石のアンサンブルは、もう「カッコいい」としか言いようがない。そして<乱暴でいいから声をくれないか>という歌をポーンとフロアに託すと、観客は大きな雄叫びをステージに投げ返し、声を通した交歓で熱の塊はさらに巨大化していく。レゲエとパンク、ダブとヘヴィロックが暇なく交錯していく音楽の迫力すら、バンドとしての覇気が食ってしまっている。腹を殴るような歌がグイグイと迫る「Unscramble」にしろ、ヴァースのリフレインとリフのループがトランス感を生む「REAL SIGN」にしろ、シームレスに連打されていくライヴは鬼気迫るもの。故郷・群馬を奮い立たせんと闘ってきたバンドとして、故郷・長崎にロックの居場所を作って守り続けてきたSHANKを同志として想う気持ちがこのライヴの爆発力に繋がっているのだろう。ローカリズムという大仰な言葉を使わずとも、ルーツを誇ることこそが生きてきた道の証明なのだという想いが2バンドを繋ぐ絆になっているのだ。

「神の島、ハウステンボス、そして出島メッセと、BLAZE UP NAGASAKIが経てきた全会場を経験しております。今年もオーバーエイジ枠、もしくは地方バンド枠、そしてヴィジュアル枠としてやって来ました。このご時世、ローカルのライヴ事情も大変だろう。それは俺らもよくわかってる。それでも、いろんなものを取っ払ってSHANKがこの1日を作ってくれた。おそらく、凄く大変だったでしょう。……将平、兵太、雄季っていう親戚みたいな3人なんだ。今日のSHANKは絶対に見逃さないで欲しい。今日のSHANKは絶対にすげえよ。そこに繋げられるように、俺達と10-FEETが、オーバーエイジ枠としてズカズカと上がらせてもらいます」

 SHANKへの想いを語ってから茂木は「Set the Fire」の冒頭部分を歌い上げ、続けて「Fire」を披露した。SHANKがバンドの未来と決意を託して「Set the Fire」を鳴らしたように、G-FREAK FACTORYもまた、ローカルの灯火とそこに暮らす人の情熱を消してたまるかという想いを「Fire」に宿している。そして、この「BLAZE UP NAGASAKI」とは単なる音楽祭ではなく、故郷と生きてきた道に光を当てるための願いそのものだ。その本質を理解するバンドだからこその、炎のバトンである。

「長崎、特別な場所だ。平和を願う気持ちは平和を知らない人から生まれる感情であって、何となく平和っぽい中で暮らしてる俺達・お前達には、平和を願う気持ちなんて本当の意味ではわからない。平和に気づかないほど毎日が平和で、平和であるがあまり、信じることも愛することも歪になっちゃって。でも数千キロ先ではまだ戦争をやっていて、また新しい戦争が始まった。平和っぽく過ごしている俺達だって、給料は上がらねえのに物価ばかりが上がって、どんどん暗くなってる。平和を何となく今日も繋いだつもりになってるだけなんだ。長崎、わかるよな」——そんな言葉から披露した「ダディ・ダーリン」。<いつかその平和とやらを誰かが破くのでしょうか>という一節が、「平和っぽく」過ごしている我々にとってもリアリティのある言葉として突き刺さる時代である。現実を直視し、その上で「らしくあれと」を晴れやかに歌って一人ひとりの未来を想い、G-FREAK FACTORYはステージを降りた。茂木が常々口にする「貫く誠」をまさに表す、この祭りが宿した願いに対して徹底的に誠実なライヴだった。

<セットリスト>
01. Too oLD To KNoW
02. Unscramble
03. REAL SIGN
04. Fire
05. ダディ・ダーリン
06. らしくあれと

文:矢島大地
写真:岩渕直人