10-FEET
カッコよく生きる。優しく生きる。そのために鳴る人間ミクスチャーが、BLAZE UPを包み込む

 ステージに上がるやいなや、「よっしゃ行こー! ありがとうございました、10-FEET最後の曲です!」という鉄板ジョークから演奏されたオープニングナンバーは「RIVER」。10-FEETのハイライトを何度も描いてきた名曲が一発目から投入され、10-FEETのタオルを掲げてライヴを待っていた観客は飛び跳ねて歓喜を表現する。TAKUMAは最初こそユーモラスな挨拶を投げかけたものの、3音が重なった瞬間からは一貫して目つきが鋭い。温かいし楽しいし跳べるし鼓舞されるけれど、人を鼓舞する以前に、その歌を歌う自分自身に対して「自分はどうだ?」と問い続ける緊張感・慎重さを持っているのがTAKUMAという人なのだと思う。その「楽しいのに張り詰めている」感覚が10-FEETの独特さであり、凄さであり、生きることへの真摯さなのだと、改めて感じる。

 続く「ハローフィクサー」では、ヘヴィなヴァースと爽快なサビ、小気味いい掛け合いと性急な展開が終始滑らかに接着していき、好きなように踊る観客と硬軟自在なバンドがバラバラなままひとつにクロスしていくような、グルーヴとしか言いようのない空間が完成する。「おっしゃどんどん行こか。5回くらい死んでも6回生き返ったんねん」という言葉から繰り出された「aRIVAL」でも、ヘヴィボトムなサウンドにシャウトが連打される超ハードな楽曲であるにもかかわらず、フロアに満ちているのは一貫してFunな空気だ。ロックを全方位で喰らい尽くすミクスチャー性を誇りながら、しかし児童歌のような無垢さと親しみやすさも感じる10-FEETの音楽。35分の短いセットではあるものの、特に「ハローフィクサー」や「aRIVAL」のような楽曲のコンボからは、音楽的人格の多さというか、音楽の表情の多彩さというか、10-FEETの音楽曼荼羅がズドンと聴こえてくる。あらゆる年代の音楽が横並びになった今は、もはやミクスチャーじゃないものがない。その中にあって、チャイルディッシュな無垢さと熟練の技巧が同じ箱に収まったまま聴こえてくる10-FEETの「人間の中身そのものなミクスチャー」はやっぱり特異だし、だからこそ多くの人が自分の人生をこの音楽に映せるのだと思う。もちろんこのライヴもそうで、全部を自分の主題歌のようにして見入り踊り拳を握る観客の姿がそこかしこで見られた。

 映画「THE FIRST SLAM DUNK」のエンディング主題歌としてリリースされた新曲「第ゼロ感」からは、未来を思って走る少年性と今この一瞬に懸ける切迫感の両方が聴こえてくる。ダンサブルなビートも相まって、リリースされたばかりにもかかわらず瞬発力高くフロアに着火、さらなるピークタイムとなっていた。

「生きてるか! 生きてるか!! カッコよく生きろよ! みんなにとってじゃなくていい。大事な人にとってカッコよかったら、大事な人にとって優しかったらええ。いつもカッコよくなくていいし、決めるところをバシッと決めて。いざって時は、膝が震えても声が震えてもバシッと決められたらええな。友達も仲間も多くなくてええし、コイツやっていう人がいたらそれでいい。意地悪なものに負けへんようにしたいよな。……いろいろある人もない人も今日は酔っ払って帰りましょう」

 これは10-FEETが歌い続けてきた優しさについての言葉でもあるし、もがきながら生きる人を全力で肯定する言葉でもあるし、それはBLAZE UPが大切にしていることにも通ずる想いだと思う。自分の大切な人が笑える場所になるように、その場所を守るための優しさを持ちたい。自分の人生の中で出会ってここまで共に歩んできた仲間達だからこそ、この先も一緒に生きていくための本気の一瞬を作りたい。そんな願いを託すように演奏された「ヒトリセカイ」は、BLAZE UPに集った人々の人生をそのまま包含するような大きさを持っていた。このフェスのことも一人でひとりのことも全力で鼓舞する、素晴らしいライヴだった。

<セットリスト>
01. RIVER
02. ハローフィクサー
03. aRIVAL
04. 第ゼロ感
05. その向こうへ
06. ヒトリセカイ

文:矢島大地
写真:岩渕直人